「ギャングスターパラダイス」 フレーバーテキスト作者、
 ラギーノ•フランクリン(如月 玲慈)氏 制作小説。

ヒーロー


 考えるより先に身体が勝手に動いた。
 危ねぇ、とか叫ぶよりも前に飛び出ていた。
 今度こそ、そうするって決めていたから。
 衝撃があって、なんだかわからないまま目の前がぐらっと揺れて膝が勝手に床に触れた。
 かと思うと、今度は床が近づいてきた。
 それにぶつかる直前。
 がっしりと太い腕に捕まれた。
 ハゲ頭に分厚い唇。窪んだギョロ目がいっぱいに開かれて俺をのぞき込んでいた。
 乱杭歯を剥き出しにして何かを叫んでいるけれど、どうにもざあざあ音と周りが騒がしくって聞こえやしねえ。
 今日の仕事は危険だぜって聞いてたけどさ。
 なんだよ。いつもに増して怖い顔しやがって。
 「助かったぜ」って笑ってくれればそれでいいのに。
 ――なあ、社長。
 
 HERO ―ギャングスターパラダイスより― 


      
くそったれ、さけぶ気力もなく俺はへたりこんだ。
 ここもダメかよ……。
 バーガーショップの裏手。薄暗い路地にいつも山と積まれる捨てられたハンバーガーがただのひとっつもない。
 倒れたゴミ箱からこぼれているのはそれこそレタスの切れっぱしやミンチの破片だけ。犬か何かが転がしたんだろう、ゴミ箱からはヘドが出そうなニオイがプンプンに臭っていた。
 もう腹が鳴る余裕さえ残ってない。
 ほんの一週間前だろうか。町中のハンバーガー屋から作り置きのハンバーガーが消えたのは。
 それと一緒に捨てられるハンバーガーの山もきれいさっぱりと消えた。
 トマなんとかってギャングの言いつけ。ハンバーガー屋の店主がため息混じりにもらしてるのが聞こえた。
 理由なんかどうでもいい。
 しわくちゃになったバンズ、しなびたレタス。捨てられて冷めたハンバーガーが頼りだった俺たちみたいなスラムの貧乏人には銃を突きつけられるより堪えることだった。
 そっからはひどい有様だった。
 一切れのパンを盗んで警察に捕まった奴。
 店の奴にリンチされたのもいる。
 手に入れた食い物を仲間に盗られた奴。
 それでも仲間がいる奴はまだマシだ。
 俺みたいに仲間もいないガキは、他のチームの連中に見つからないようにこそこそ動き回るしかない。
 それこそみじめなネズミみたいに。
 けど、ここもダメだった。
 くそったれ、もう一度言葉を噛みしめて俺は冷めたハンバーガーの味を思い出す。 
 もう動けそうもない。むき出しの地面に尻を落としてへたりこんだ。
 腹が減りすぎてどうにかなっちまいそうだった。
 ふいに俺がもっとチビだった頃、テレビで見たおかしな話を思い出した。まん丸顔のヒーローが空からやってきて腹ぺこのガキに自分の顔をちぎって食わせる、そんな話。
あんまりにもアホらしい。
 そんなヒーローいるわけない。スラムで飢えて死んだ奴と、どうしようもなく減った腹がなによりの証拠だった。
 ちらりとゴミ箱に目が動き、ごくりと喉が鳴った。
 ヘドが出そうな残飯がひどくうまそうに見えてきた。 
 鼻もバカになっちまって、臭いさえも感じられない。
 切れっぱしといえどもレタスはレタス。食えないこともないだろ……。
 茶色く変色したレタスに手をのばしかけた瞬間、
「ずいぶんデカい野良犬がいるな」
 ぷん、とうまそうな臭いが鼻を突いて俺は振り返った。声なんて聞こえてなかった。
 紙袋を抱えた男が立っていた。
 ハゲ頭に黒のシャツを盛り上げるもりもりの筋肉。めちゃくちゃにガタイのいいオッサンだ。
 その抱えている紙袋からうまそうな臭いが漂ってくる。 間違いない! ハンバーガーの臭いだ!
「……あ……よこ……せ……」
 腹が減りすぎてまともに舌が回らない。
 立ち上がろうとして立ち上がれず、四つん這いになってなんともサマにならない脅しの言葉を吐いた。
「なんだよ、こいつが欲しいのか?」
 男は袋を漁ってハンバーガーをひとつ、取り出した。
 いつも見ているしなびたバンスのじゃない。つやつやのパンに鮮やかな色のレタスが挟まった本物のハンバーガーがほかほかの湯気を立てていた。
 俺は犬みたいに涎が湧いてくるのを止められなかった。
「ただじゃやれねえよ。犬っころ」
 男はこれみよがしに大口を開けてうまそうにハンバーガーにかぶりつく。一口で半分近くが齧り取られた。
「……っがあぁ!」 
 キレた。
 一体どこにそんな力が残ってたのか、俺は跳ね上がるようにして飛びかかり、片手一本で楽々にねじ伏せられた。
 よくよく考えてみれば腹ペコのヒョロガキが筋肉ムキムキのオッサンに敵うはずもなかったんだが。
「威勢がいいじゃねえか。気に入ったぜ」
 頭の上で声が聞こえた。
 続けて、ぷん、といい臭いが届いた。鼻先に熱々のホットドッグがぶら下げられていた。
「お前、オレのところへ来いよ。そうすりゃたらふく食わせてやるぜ」
 その言葉の意味を理解するより先に俺は亀みたいに首を伸ばしてホットドッグに食らいついていた。
 口ン中にいっぱい、痛いほど味が広がった。
 ケチャップの甘酸っぱい味、ツンとしたマスタードの辛さ。パンの甘さにプチンと弾けたソーセージの感触が絡みつく。
 そのときからホットドックは俺の大好物になった。
 いつの間にか自由になっていた手を使うのももどかしく、あっと言う間に俺はホットドッグを平らげた。
 食べ終わるのを見計らって、オッサンは次にハンバーガーを差し出した。
 包みをやぶり取って俺はかぶりついた。
 何日かぶりのまともな食い物。それもしなびたバンズなんかじゃない。夢中になるなって方が無理な話だ。
 手にしたのを食べきるよりも先に袋から持てるだけのハンバーガーやホットドッグを抱えた。
 オッサンはもう邪魔せずに肩をすくめてみせた。
 手にしたハンバーガーは、ホットッドッグは熱くて、生きているってことを実感させた。
「慌てるんじゃねえよ。誰も取りゃしねえよ」
 と言ってオッサンは俺の抱えたハンバーガーをひとつ取ってあっと言う間に食った。
「取ったじゃねえかよ!」
「元々オレのだ。それより、食ったらついてこい」
「どこにだよ?」
 もうひとつ、ホットドッグにかぶりついた。食えるときに食う、当たり前のことだ。
「聞いてなかったのかよ、オレのとこ、会社だ。食った分、仕事はしてもらうぜ」
 オッサンはハゲ頭ににやりと笑みを浮かべた。
 ギャングどころか殺し屋でもビビりそうなワルい顔。
 会社。仕事。
 今までほとんど聞いた事もない言葉。
 噛みしめるケチャップとソーセージの味。
 それがダーティ、人さらいとも噂される社長との出会いだった。

     ※
 
 オッサンの自称会社はスラムの中程にあった。
 少なくとも上等な場所にはほど遠い、二階建てのオンボロ家に真っ赤なペンキでヘタクソな文字が殴り書きされていた。
「PBSS……?」
 わけわかんねえ文字の下に『困ったらいつでも来な』と書いてあった。それさえなければタダのボロ家にしか見えない。
「ポール・ボディガード・サービス・センター。イカした名前だろ?」
「イカしてねえ」
 たぶんポールってのがオッサンの名前なんだろう。
「ボディガードってのはなんだよ、オッサン」
「社長と呼びな。この町にはな、自分を守る力もねえ、カワイソーな奴らがごまんといるんだ。そいつらに代わって悪党どもから助けてやる商売さ。もらうモンはもらうがな」
 オッサンはそこいらのチンピラが裸足で逃げ出しちまいそうなおっかねえ笑みを浮かべた。
「オッサンの方がよっぽど悪党みたいなツラしてんじゃねえかよ」
「社長って呼びな。善人ヅラしてる悪党より悪党ヅラしてる悪党のがよっぽどマシじゃねえか」
 そんなもんか、と納得しそうになった。
「どっちも悪党じゃねえかよ!」
「わかりやすい分マシさ」
 オッサンはボロ家のボロ戸を開いた。
 見た目通りのボロらしく軋んだ音を立てて戸は開いた。
「遅かったな社長。どこで油売ってたんだ?」
 足下から声が聞こえた。
 俺よりちょっと年上くらいの奴が汗だくで腕立て伏せをしていた。筋肉モリモリだ。
「いい仕事あったかよ、社長?」
 今度は壁の方でダンベルを上げ下げしている奴が声をかけてきた。
 こいつも俺より少し年上で乱暴そうな雰囲気にチンピラ臭がぷんぷんしてた。こいつも筋肉モリモリだ。
 他にもそんな奴らが2~3人、スクワットをしたりブリッジをしたりしていた。やっぱり筋肉モリモリだった。
 どいつもこいつも、筋肉を鍛えてるみたいだった。
 ボロ家の中には壁がない。
 一階がまるまる広いホールになっていて、その全部が一気に見てとれた。筋肉バカ共の他には床にごろごろと転がされた酒ビンがいくつか。
 家具らしい家具は部屋の奥に申し訳程度に置かれた机と椅子。それからちょこんと置かれた金庫くらい。
「なんだよ、こいつらは……?」
「ウチの社員たちさ。仕事がないときはこうやって筋肉を鍛えている」
 オッサンは大股で歩いていくと、椅子にどっかと腰かけた。まるで熊みたいにデカいオッサンだから見てると椅子がブッこわれちまわないかハラハラしてくる。
「さっそくだが、仕事してきな」
 オッサンは俺を指さした。
「筋肉を鍛えろってか」
「バカ。おまえみたいなやせっぽちが簡単に筋肉を付けられるか。筋肉ナメんな」
 逆になんでそんなに筋肉を信じてるのかわかんねえ。
「ボンクラ頭じゃあもう忘れちまったか? ここの仕事はなんだ?」
「ボディ……ガード?」
「そうだ。俺がとってきたばかりの仕事だ。しっかり働いてきな」
 言うなりオッサンはケツのポケットから紙切れを取り出した。住所と名前が書いてある。頼んだ奴ってことか。
「ちょっと待てよ、俺は来たばっかりだろ。いきなりボディガードなんて出来るわけないだろ!」
 どっ、と笑い声が周り中から聞こえた。
 どいつもこいつもが俺をバカにして笑ってやがった。
「こんな仕事で死ぬようなら、それまでってことさ。いらねえよ、そんなやつ」
「ざっけんな!」
 俺は怒りで拳を握りしめて、飛び出した。
 ふざけやがって、何が仕事しろだ!
 食った分だけ働けよ、今日の新入りはイキがいいねえ、プロテイン足りてねえぞ、と背中から声が聞こえたが全部無視した。
 ふざけやがって!

     ※

 ドアを叩くまで十分くらい悩んだ。
 握りしめたまま、メモを叩き返すのを忘れてた。
 頭が冷えてくるとあのかぶりついたホットドッグの味が唾と一緒に蘇ってくる。
 ここで出ていっちまったら次にあのホットドッグを食えるのはいつになるやらわかったもんじゃない。
 いっぱいになった腹がもう腹ぺこはごめんだ、と頭よりもストレートに言ってきやがる。ちくしょう。 
 ……にしても返事がない。
 俺はもう一度ドアを叩いた。今度はさっきより強めに。
「ポールボディガードなんとかから来たんだけど……」
 一度聞いたけど、名前なんかすっかり忘れちまった。 
 あのオッサンと筋肉どものインパクトが強すぎるんだ。
「……はいはい、待ってましたよ」
 戸の奥からか細い声が聞こえた。
 女……というかバアさんの声。
 いくら待っても開かないので、ノブを捻ってみるとあっさりと開いた。
 そろっと中をうかがってみると、薄暗い室内に予想通りのバアさんがひとり、のろのろと歩み寄っているところだった。
「あんたがボディガードを頼んだのか? オッサ……ハゲ社長に」
「ハゲ? ふふ……」
 バアさんはさもおかしそうに笑ってみせた。
「そんなふうに言うもんじゃありませんよ。あの人は私が身体が不自由だろうからって、暇をみては誰かを寄越してくれているんですから」
 言っている意味がよくわからなかった。
「あのさあ、俺ボディガードなんとかって、会社に入れって……」
 盗みがバレて捕まりかかったときみたいにしどろもどろになるとバアさんはまたしてもおかしそうに笑った。
「ええ、ボディガードですよ。私が腰を痛めたりしないように、守ってくださいな」
 結局、それが俺の初仕事になった。
 バアさんの買い物に付き合って、洗濯物を洗って、部屋を掃除して。
 終わる頃にはヘトヘトで、日も暮れかかっていた。
「お疲れさま、ありがとうね」
 バアさんはそういうと、封筒を差し出した。
 中にいくらかの金が入ってることは間違いない。ホットドッグが何個分くらいだ……。
 俺がそれを手にとってまじまじと見つめていると、バアさんはもう一度笑って俺にいくつかのコインを掴ませた。
「これはお駄賃。ハゲの社長さんには内緒ね」
 まるで俺が金を持ち逃げするか迷ってるのを見透かしたみたいだった。
 もらった駄賃はホットドッグ一本に変わった。
 ホカホカのホットドッグはいままで食ったどのホットドッグよりもうまかった。
 結局、袋の金には手をつけず俺はボロ家に戻った。
 この金を届けるだけだ。
 今度こそ文句を言って出ていってやる。
 思い切って戸をあけた、
「ガハハハハッ!」
 途端に地響きみたいなバカ笑いが響いた。
 ゲハハハハ、ヒッヒヒ、とさらに笑いが巻き起こる。
「なんだぁ!?」
 のぞいてみるまでもなかった。
 例のオッサンを中心に床に座り込んだ筋肉どもが酒ビンやピザを片手に宴会をしていた。
「おう、帰ったか」       
「遅かったな、新入り」
「初仕事はどうだったよ?」
 わけもわからない俺に次々と筋肉どもが声をかける。
「なんなんだよ、こりゃ?」
「決まってんだろ、新入りの歓迎会さ」
「歓迎会……? その新入りってのは?」
「おまえ以外誰がいるよ?」
「肝心の俺がいないのに歓迎会をやってたのかよ!?」
「別にいいだろ。酒が飲めりゃあなんだっていい」
「ちがいない!」
 筋肉どもがゲラゲラ笑った。
 こいつら、間違いなく脳味噌まで筋肉で出来てやがる!
「おう、小僧。謝礼もらってきたよな」
「ん、ああ」
 封も開けてない包みを差し出すとオッサーー社長は、
「よっしゃ、それで酒買ってこい! ビールでもワインでもバーボンでもなんでもいい!」
「ええっ!? なんていい加減なんだよ、俺がちょろまかしてたらどうすんだよ!?」
 一瞬だけ、場がシンと静まり返って、
「ゲハハハハッ!」
 爆発するみたいに筋肉どもが笑った。
 地震起きたんじゃねえかと思った。
「おいおい、俺がそんなヘボをスカウトするわけがねえだろうがよ」 
 ぺったぺったとハゲ頭を何度も叩いて社長がさらに笑った。
「この界隈で社長から金盗もうなんて大物だな、新入りはよぉ!」
「いいから酒買ってこいよ。盗むなよ?」
 また笑いが巻き起こる。
「あーっ、たくよぉ!」
 俺はまたしても怒りながら走り出した。
 見てろよ、酒屋で一番まずい酒と強くてまともに飲めない酒を買ってきてやっからな!
 ……その後、初めてのテキーラを飲まされてぶっ倒れたところまでは覚えてる。
 なんであんなモンがぶがぶ飲めるんだよ、あいつら!

     ※ 

 今日の仕事は壁のペンキ塗りだった。
 もうどうこう言うのも面倒になって、俺は黙って事務所を出た。
 あれからはほとんど毎日がこうだ。
 朝、誰かが受けてきた雑用みたいな仕事が俺に回される。今日みたいなペンキ塗り、レストランの皿洗い、バーの掃除と手間がかかる仕事ってことだけは一緒だった。
 飯は毎日なんとか食える。俺も含め、行くとこのない奴はみんな事務所に泊まっていた。
 そんで夜はなにかと理由をつけて酒を飲んでの宴会ばかり。会社とやらの金が貯まるはずもないが、社長も筋肉も金の心配なんかしたことがない。
 俺が稼いでいる金はほとんど酒に消えてんじゃないだろうな? たまにもらえる駄賃はホットドッグに消えてるけど。
「よっと」
 壁一面にペンキを塗り終えた俺は満足して眺めた。
 最初塗り始めたときはどうにもムラがあったもんだったが、いまではずいぶんと上達したような気がする。
 こりゃペンキ職人になれる日も近いんじゃねぇか?
 なんて、俺がちょっといい気分に浸ったときだった。
「おう、邪魔だ」
 ペンキの缶が蹴られて、塗ったばかりの壁に白色がまき散らされた。
「なにすんだテメェ!」
「言ったろ、ペンキ屋なんかが邪魔……ん?」
 ペンキ缶を蹴飛ばした奴が不思議そうに目を細めた。
 その顔には見覚えがあった。
 スラムでチンケなチームにいたやつだ。
 それだってのに、そいつの格好はスラムのガキじゃあなかった。冗談みたいにぱりっと糊の利いたスーツにジャケット。白のカッターには金のネックレスがのぞいていた。 まるで絵に描いたようなチンピラだ。
「へっへっへっ……」
 呆れた俺の視線を何を勘違いしたか、そいつはわざわざジャケットの襟を正してみせた。
「ペンキ屋ご苦労さん。俺たちチームのメンバーはよ、みんなトンマーゾさんにスカウトされたのよ。もうハンバーガーを漁る必要なんてねえぜ」
 トンマーゾってのが誰からわからないが、チンピラの親分のことか。
「おまえはなんだよ? ペンキ屋にアゴで使われてんのか?」
 あきらかにバカにした言葉。だがアゴで使われてんのは本当だったから俺は精一杯見栄を張ってやった。
「ボディガードだよ、ボディーガード。こいつは潜入任務ってわけ。俺は俺で才能ってやつ? 見出されたからよ」
「……ボディガード? もしかして、あの人さらいのか」
「人さらい? なんだよ、それ」
 チンピラもどきはさも愉快そうな顔で笑ってみせた。
「ギャングの間じゃあ有名だぜ? ダーティってな。あの社長って奴は若いのを拾ってきちゃあ盾に使うんだぜ。弾除けに使われて死んだ奴がうじゃうじゃいるって話だぜ? あいつにだけはついていくなってな。お気の毒ぅ」
 言うだけいうと、そいつはもう一度ペンキの缶を蹴っ飛ばしていった。
 カランカランと響くその音が、ずっと俺の頭に響いて止まらなかった。
 
     ※ 

「うーす……」
 さえない気分で俺は事務所の戸を開いた。
 あのチンピラもどきに言われたことがどうにもひっかかって仕方がない。 
「どうかしたのかよ、小僧」
 社長の血色いいハゲ頭をまじまじと見ているとさすがに気づかれたのか、そんなことを言われた。
「なんでもねえよ。なんでもねえけどさ……」
「んじゃいいや。酒買ってこい」
「聞けよ、そこはさあ」
「めんどくせえやつだな、まったく」
 社長は心底面倒くさそうだ。
 人さらい、盾にする。
 本当なのだろうか。
 それを聞いて「ああ、そうだぜ」とでも言われたら俺はどうするのか。
 信じていた、なんて言えるほどこのオッサンのことを知らないし、知ろうともしてない。
「あのさあ……」
 なんていうのか決めかねて、それでも口を開こうとしたとき、
「た……助けてくれ!」
 転がるように男が事務所に飛び込んできた。
「なんなんだよ、いったい!?」
 と、慌てる俺に社長は、
「わけありなんだろ。よくあるこったぜ」
 と平然としている。
「そうそう。いつものことさ」
 と、他の奴らも気にした風には見えない。
「なあ、ここボディガードなんだろ!? 守ってくれよ、頼むよ!」
 男は這いずる。
 腰砕け、というより足下が覚束ない感じだった。
 赤ら顔にツン、と酒の臭いがした。
 この事務所もいいかげん酒臭いが、それよりもはっきりとキツイ酒の臭い。服といい髪といい身体中にその臭いが染み着いてるような男だった。
「なんだよ、あんた?」
「ギャギャギャ、ギャングだ! あいつらに追われてるんだ! 金、金返せって!」
「金返せって、あったり前じゃねえかよ」
 馬鹿馬鹿しい言い分に俺は鼻を鳴らした。
「き……来た!」
 ドカドカと足音が聞こえてきた。
 見るからに荒くれの男が二人。ボロ家の玄関をくぐってから舌打ちした。
「……ダーティのとこかよ」
 小さなつぶやきが聞こえた。
「邪魔させてもらいますよ、旦那」
 男の一人が軽く頭を下げた。社長はギャングにも名前が通ってるって話は本当らしいな。
「面倒かけさせやがって……。おら、来な!」
 男の一人ががっちり腕を掴んだ瞬間、
「待ちな、そいつは俺の客だ」 
 社長が妙なことを言った。
「客だあ……?」
 驚いたのは俺も一緒だった。
 見回してみると、周りの筋肉どもはにやにやと気色の悪い笑みを浮かべていた。
「そ、そうだ! 客だぜ! 守ってくれるんだろう!?」
 男はここぞとばかりに広角泡を飛ばして都合のいいことを叫んだ。
「いくら旦那が顔が利くったってそいつは困ります。こいつの借金を全部払ってくれるってんなら話も別ですがね」
「おう、払ってやるよ」
「はい……?」
 ギャングの男が聞き返した。
 いや、聞き間違えだよな。払ってやるなんて。
「おい」
「へいへい」
 社長がアゴで金庫を示した。その短いやりとりだけで、ひとりが金庫を開けて札束を適当に握りだした。
 鍵もかかってないみたいだし、適当すぎんだろ。
 借金の金額も聞いてないのに。
「ほれ、このくらいか?」
 マッチョの男一掴みの札はかなりの額があったんだろう。ギャングの男達はそれを受け取ってからしぶしぶと出ていった。
「噂通り正気じゃねえな……」
 去り際に言っていた言葉がまさにその通りにしか思えなかった。なんで見ず知らずのオッサンに大金を投げ出すのか、さっぱりわからねえ。
「ありがてぇ……この恩は忘れねぇからさ……たぶん」
「ああ、礼には及ばねえさ。商売だからな」
 オッサンが立ち上がるよりも早く、筋肉共が両脇をがっしりと掴んだ。
「えっ!? なにすんだよ!?」
「商売って言ったろ。お前を守る為に使った必要経費……一万ドルはあったな、なあ?」
「なっ、なんだとぉ!?」
 目ん玉が飛び出るような金額にオッサンは悲鳴をあげた。いや、俺だって声が出そうになったし。
「そんな金払えるわけねえだろ! お、俺の借金は三千ドルだぞ!?」
「じゃあ仕方ねえなあ、働いてもらおうか」
 待ってました、といわんばかりに社長はにたりとハゲ顔に凶悪な笑みを浮かべた。
 いや、実際これが狙いだったんだろうけどな。
「な……なにさせる気なんだ!?」
「心配すんな。仕事を紹介してやるだけだ。あがりはいたがくがな」
「離せ! 離せよぉ!」
 オッサンはそのまま引きずられていった。
 地獄に連行されるような悲鳴は、俺にあることを思い出させた。
『若いのを拾ってきては弾除けに使う』
 もしかしてあのオッサンもギャングの弾除けに……。
「あのオッサン……どうすんだよ?」
「聞いてただろ、仕事してもらうのさ。命をかけてな」
 命をかけて。
 それ以上は俺は何も聞かなかったし、聞けなかった。
 社長もそれ以上はなにもいわなかった。
 
     ※

「なあ、ここの社長さ。悪いウワサがあるっての知ってるか?」
「あるに決まってんだろ。あのツラの上にギャングのとこでも仕事してるんだぜ? 当然だろ」   
 思い切って社長のいないとき、事務所でストレッチを続ける奴に聞いてみるとそいつはあっさりと認めた。
「人さらいとか、ギャングの弾除けに使うって……」
「まあ、ほんとのことだな。お前は知らないだろうけど長い奴はさ、けっこう危ない橋も渡ってっからよ」 
「だったらなんで、そんなやつのとこにいんだよ?」
「他に行きたいところもねえからな」
 何を聞いてもいい加減なところは社長もこいつらも一緒らしい。ほんとーに脳味噌まで筋肉なのか。
「そんなに気になるんならさ、自分の目で確かめりゃあいいだろ。嫌なら盾にされる前に逃げりゃいい。借金もないんだろ、誰も追っかけないぜ」 
 自分の目で確かめる。
 そういえば、そうだった。いままで、俺は誰かに聞いたり頼ったりしたことなんてあんまりなかったはずだ。
 気になることは自分で確かめる。あたりまえのことだったのにすっかり忘れてた。
「社長はたぶん教会だろうな」
「教会? そんなのこの町にあんのか?」
「北の町外れ。ただっぴろい墓地と一緒だ」
「サンキュー」
 礼を言ってから、俺は事務所を出た。
 貧乏ったらしい建物が続くスラムを抜け、繁華街を通り過ぎ、金持ち共の住んでる地区を避ける。
 外れに向かうにつれ、どんどんと建物は少なくなってきていた。実際、このあたりに住んでる奴は少ないらしく家はどれも荒れて人の気配も少ない。
 その最果てに教会ってやつはあった。
 小さな鐘付きの建物がひとつ。ぽつん、と建っていた。
 あたりにはなんにもない。
 だが、教会の向こう側には数え切れない程の墓石がどこまでも並んでいる。街の連中が全員入ってもまだ、余裕がありそうなほどに広かった。
 目に写る物といえばそれと馬車が一台。
 物も言わずに馬がたたずんでいた。
 教会の両開きの戸が開いて、妙な一団がゆっくりと歩いて出てきた。
 全員が黒づくめで真ん中にでっかい箱を抱えてる。
 十字を掲げたヒゲのオッサンがうやうやしく何かをつぶやいていた。
「人生で最後のお祭り、もっと華々しく行うべきですね」
 ぎょっとした。
 いつの間にか俺のすぐ隣に黒服の男が立っていた。
 ぴんと延びた背筋にぱりっと糊の利いたシャツ。
 その目はじっとりと湿っぽく光っていた。
 俺が驚いた顔をしてみせるとそいつは満足そうにうなづいてから軽く頭を下げてみせた。
「わたくし、葬儀を生業としている者でございます」
 誰だよ、と聞く前にそいつは勝手にしゃべりだした。
「人は生まれれば必ず亡くなります。誕生と死は表裏一体。誕生を祝うならば死も祝うべき、と、わたくしは心得ております」
 いきなりわけのわからんことを言われた。
「いえ、むしろ人生最後のお祭りだからこそ、盛大に、華やかに、そうするべきではないかと」
 つまりあの葬式が気に入らないって話なんだろうか。
「そんなの金持ってる奴の話だろ。俺みたいなのは死んでも葬式やる奴いないぜ」
 スラムには身寄りのない奴はたくさんいた。
 親元から逃げてきた奴。そもそも親のいない奴。親と一緒にストリートにいる奴。
 どいつもこいつも死んだらそのままだった。
 しばらくして死体がなくなったら、ゴミ収集に持って行かれたんだと、噂しあった。
「予算が関係してくるのは間違いございません。けれども、あなた様にはそのご心配は不要ではございませんか? 望めばご立派な葬儀をあげていただけるでしょう」
「どういう意味だよ?」
 葬儀屋は俺の質問に答えず、ちらりと視線を祭りへと向けた。
「あなた様のボスはわたくしのお得意様でございます。幾度も満足のいく祭りをさせていただいております」
「社長が葬式代を出してるってことかよ?」
「ええ、つい先日も催させていただきました」
 事務所はいつもいつでもどんちゃん騒ぎだ。とてもじゃないが葬式なんて辛気臭い物があったとは思えない。
「何かの間違いじゃねえのかよ。社長は……その、人さらいだって話じゃねえか」
 歯切れ悪い俺に葬儀屋は「ほう」とうなづいてみせた。
「人さらいですか」
「若い奴を盾にするとかよ」
「ほうほう」
 葬儀屋は顔色ひとつ変えない。
「さて、わたくしは生きている方にはあまり興味がございませんので疎いのですが、あの方は進んでその様なことをされる方ではないとお見受けしますが」
「でもよ……俺は聞いたんだぜ?」
「もしもそうなら、もっと頻繁に祭りが行われることでしょう。けれども現実にはそうなっていない。嘆かわしいことです」
 ふるふると、葬儀屋は首を降った。めちゃくちゃ残念そうだから、きっとほんとのことなんだろうな。
 ……あの事務所には筋肉バカの連中と社長しかいない。
 ウワサ通りに盾にされてる奴がいたとしたら、どんどん人が減ってるはずだし、新しい奴も入ってくるだろう。
 考えてみれば、あんなチンピラもどきの話を信じたのが間違いだったのか。
 そんなことを考えていると、俺たちの横を黙って黒服の奴らが通りすぎていった。
 葬儀屋は静かに頭を下げて一団が通り過ぎるのを待っていた。
 少し遅れてから、泥まみれでスコップとバケツを持った男がひぃひぃ言いながらやってきた。
「葬儀屋の旦那、埋葬終わったよ」
「お疲れ様です。だいぶ板についてきましたね」
「冗談じゃねぇよ。穴掘りに墓掃除に番人に……オマケに暇なときはバーの皿洗いなんてやってられねえよ!」
「ふふ、この程度で済まされている分、ありがたいではありませんか。あの方に感謝しませんと」
 まるで見えない鎖を引かれたように男の背筋がびしっと固まった。
「けっ……あのときはまるで英雄みたいに思えたけど、すぐにとんでもない悪党に見えたよ、まったく」
 ぶつくさとつぶやく男の顔。土と汗にまみれたきったねえ顔には見覚えがあった。
 そうだ。事務所に転がり込んで連れて行かれた男だ。
「あんたあのとき社長に……」
「あん? 社長に用か? 墓参りだとさ」
 男は顎をしゃくって柵の向こうを差した。前に見たときは赤ら顔でどうしようもなく酒の臭いがしていたが、今は土と汗の臭いしかない。
「ったく……酒飲むヒマもありゃしねえぜ……」
 ぶつぶつ言いながら歩いていった。その足取りは前のときみたいにふらふらじゃあなかった。
   
     ※

 どこまでも続くような数え切れない程の墓石。
 形も大きさも様々だし、そこに刻まれている文字も様々だ。だが、その下にどれも死んだ奴が埋まっていることに違いはない。
 その中のひとつ。シンプルな墓標と墓石だけで造られた墓の前に社長は立っていた。
 墓には花束がひとつ添えられて、黄色や赤の花がそよそよと風に吹かれていた。
 その隣にも、その隣にも、そのまた隣にも。
「なんか用か」
 振り返らず社長が言った。
「事務所の奴に聞いたら、社長ここだって……」
 俺は歯切れ悪く理由にもなってないことを言った。
 そもそも、俺は社長に何を言うつもりだったのか。葬儀屋と話してるうちに忘れちまった。
「もう用は済んだ、帰るぞ。それとも先輩に挨拶にでも来たのかよ」
 振り返った社長はいつも通り、にやっと悪党ヅラの笑みを浮かべた。
「先輩……?」
「ここに埋まってるのは仕事で勝手にくたばった奴さ。俺がこうしてときどき様子を見に来てやってるのさ。あの世で悪さしてないかってな」
「……あんたに盾にされて死んだんじゃないのかよ」
「ああ、そんな奴もいたかもな!」
 ゲハハ、と社長は愉快そうに笑った。
 なぜだか俺はかっとなる気持ちがどうしても湧いてこなかった。
「あの借金男とも会ったよ。社長のことが最初英雄に見えたけど、すぐに悪党に見えたってさ」
「違いないな、あんな奴は他にいくらでも抱えてるさ」
 強面の顔にひどく意地悪そうな笑みがさらに浮かんだ。
「……俺のことはどう思ってる?」
「拾ってきたガキ。うまく使えりゃいいなぐらいさ」
「…………」
「どうした、もう質問は終わりか? それじゃあ帰るぞ」
 社長はさっさと背中を向けて歩き出した。
 まるで俺がいないかのように。
「まあ、これだけは言っといてやる」
 俺の視線は墓石から動かない。社長を追いかけようとも、さっさと見切りをつけて出ていこうとも、足が動かない。動こうとしない。
「くたばって英雄になるくらいなら、生きて悪党になれ。どっちも嫌ならさっさと逃げ出せ。俺が言えるのはそれぐらいだ」
 はっとして振り向くと、社長が背中越しに笑っていた。
 いままでに見たことがない、寂しい顔。
 それは一瞬のこと。 
 すぐにいつものチンピラも裸足で逃げ出しそうな凶悪ヅラに戻った。
「くたばっちまったら、酒も飲めねぇからな」
 このオッサンが悪党なのはもうとっくにわかってる。けど、それと同じくらいに強い男だってことも、なんとなくわかっていた。
 強い男が寂しさを見せたら、こうも悲しくなるのだろうか。いつだって社長がにやにやと悪党丸出しの顔をしている理由。それがわかった気がしてならなかった。
 足は勝手に動き出して社長の後を追っていた。
    
     ※

 街へ帰る途中、社長は急にハンバーガー屋へと立ち寄った。聞く暇なく両手に抱えるほどのハンバーガーやホットドッグを買い込んで俺に持たせた。
 紙袋越しに漂う熱い感触と湯気と臭いが俺の腹を鳴らせた。
「こんなに買ってどうすんだよ。さすがに食いきれないぜ」
「阿呆、こいつは餌だ。お前のときと同じだ」 
 餌? 俺が聞き返すよりも先に社長はずんずん歩き出した。
 路地に曲がって、スラムへと足を踏み入れる。
 ホットドッグをつまみながら俺は続いた。
 何をする気なのかぜんぜんわからん。
 ぴたり、と社長は足を止めた。その視線の先には背を向けた男が一人。そして、その影に隠れるように俺よりも年下にみえるガキが一人。
「まあ、そういうわけだ。俺たちのところにくればすぐに一人前のギャングにしてもらえる」
「そしたら……メシ、食わせてもらえるのか!?」
 男はにたぁ、と笑った。社長もよく悪人ヅラで笑うが、それよりもずっとずっとジメっとしていて、カビだらけのピザみたいに気色が悪い顔だ。
「話は聞いてるぜ。ハンバーガー屋が作り置きを捨てなくなったんだろ? トンマーゾさんはそんなお前たちを見捨てておけないんだとさ」
 トンなんとかってギャング。急に作り置きを捨てなくなったバーガー屋。そいつらがグルになってることなんて考えるまでもない。
「ほんとかよ!?」
 けど、そいつはひさしぶりにメシが食えるって希望に目を輝かせていた。
 よくわかる。俺だってそうだった。
 腐ったレタスの欠片、ぶちまけられた生ゴミだってうまそうに見えたんだ。
 だからわかる。どれだけあいつが汚ねえことを言ってるか。今すぐにでも飛び出して、あいつをぶん殴ってやりたかった。   
 だけど動けなかった。
 歩き出した社長のデカい背中が見えたから。
 墓場では寂しげだった顔に、ぞっとするほど凶悪な笑みを張り付かせていたのだから。
「それだけじゃねえぜ、うまくやりゃあ英雄だって夢じゃ……ん?」
 肩に置かれた手に目をやって、男は振り返り、離れて見てても笑っちまうくらいにビビりあがった。
「英雄になりたいって? だったら丁度いい仕事があるぜ」
 息がかかりそうなほど近くに社長の悪人ヅラがあれば誰だってビビりあがっちまうだろう。俺だってビビる。
「ダッダダダ……ダーティポール!」
 誇らしい通り名を浴びたように、社長はにやりと笑ってみせた。
「お前にも紹介してやろうか? 英雄になれる仕事をよぉ」
「いっいえっ! けっこうです!」
 そいつは転がるようにして俺のそばまで離れたかと思うと、下手くそなダンスをやるみたいにぐるりとターンをしてみせた。
「くっ……くたばりやがれ! ダーティポールぅ!」
 そっから先はまるでスローモーションみたいに見えた。
 そいつはズボンの後ろに挟んでいた拳銃を抜いて、出鱈目に撃ちまくった。
 パン、パン、と思っていたよりずっと軽い乾いた音が何度も聞こえた。
 一発撃つごとに反動で手が右に左に、大きくブレていた。
 ああ、慣れてねぇんだな。と、まるで他人事みたいに俺は思っていた。
 一発は壁に。一発は地面に。そして二発はどこかに飛んでいった。
 そして最後の一発はぶっとい腕で頭を庇い、動こうとしない社長に向かっていった。
 弾はわき腹に当たり、社長がぐっ、と呻いた。
 ただ、それだけだった。
 社長は倒れもせず、テレビみたいに血も派手に噴き出さず、カチン、カチンと弾切れの銃が間抜けな音を立てていた。
 一歩、社長が足を踏み出した。
 弾の当たったわき腹を押さえてはいるものの、足取りは少しも乱れてない。
 逆に撃った男の方は一歩社長が近づく度に真っ青に顔色が変わっていく。
「トンマーゾの野郎に伝えとけ」
 社長が、にやっと笑った。
「今後、テメエんとこの仕事は――」
 そのすさまじい顔を、俺はきっと一生忘れられないだろう。
「料金全部五割増しだ!」 
 社長の熊みたいな拳がそいつの顔面に突き刺さり、勢いのまま頭から地面に振り下ろされた。そいつはボールみたいに跳ね上がり、ぐちゃっと落ちた。
 俺は、その一部始終を黙ってみていた。
 いや、少しも動くことなんて出来なかった。
「おい」
 社長に声をかけられて俺ははっと気が付いた。
 残されたガキはあっという間に変わってしまった事態についていけないのか、目を丸くして社長を見ていた。そして、さっとその顔におびえが走った。
 無理もないけどな。
 社長が身振りでガキを指す。そして俺がバカみたいに抱えたままのハンバーガーを。
 足を踏み出すと、いまさらにとんでもねぇ事態だった緊張と恐怖に身体が固まってうまく動けない。
 ロボットみたいにギクシャクした動きの俺を見かねて社長がハンバーガーをひとつとりあげるとガキに差し出してやった。
 一瞬、迷うようにガキは社長と俺の顔を交互に見た。
「食えよ。腹減ってんだろ」
 どうにかひねり出した俺の言葉が終わるよりも早く、ガキはハンバーガーにかぶりついた。
 忙しく噛み砕いて飲み込んだかと思うとすぐに次にかぶりつく。
「熱っ……へっ……へへっ……」
 食いながら、泣きながら、笑っていた。むかしテレビでみた、ヒーローに食い物をもらったガキみたいに。
「お前、行くところがなかったら俺のとこへ来な。PBSSってんだ」
 社長はどうみても食うのに夢中で聞いてないガキにもう一つハンバーガーを差し出した。
「英雄になんかなれねえが、悪党になるやり方くらいは教えてやるぜ」
 それだけ言うと社長はさっさと歩き出した。
「えっ? ちょっ、おい、連れてかねえのかよ? それにケガは!?」
「あれぐらい食って寝てりゃあ治る。伊達に筋肉鍛えちゃいねえさ。それと、人さらいじゃねえんだぞ。立ち上がらねぇ奴は知らねぇ。その気がありゃあ勝手についてくるさ」  
 社長はホットドッグをむんずと掴むと一口でがぶりと食ってから背中越しに言った。
「お前みてぇにな」
 背中越しで、社長の顔は見えない。
 けれども今、社長は笑っているような気がした。
 どうしようもない悪人ヅラに唇の端を少しだけ上げて。
 いつか、そのツラを真正面から見てやりたいと思った。  
 それまでは、このオッサンのところにいるのも悪くない。そんな気がしていた。
 それに、いざってときに指一本動かせねぇなんてかっこわりぃ。
次にあんなことがあったら絶対、俺はこの社長を守ってやる。それで「やるじゃねえか、見直したぜ」って言わせてやるんだ! 絶対だ!
「おら、行くぞ」
 いつもの乱暴な声。
「……いま行くよ」
 俺は足早に、その大きな背中を追いかけた。

     終