「ギャングスターパラダイス」 フレーバーテキスト作者、
 ラギーノ•フランクリン(如月 玲慈)氏 制作小説。

鉄砲玉


その男は“だんまり”と呼ばれていた。
年の頃は三十路前、どこかだらりとした雰囲気を常にまとわせていた。
いつもチンピラのたまり場のバーでカウンターの隅に陣取り、一人で酒を飲んでいた。

他のチンピラたちが馬鹿騒ぎをしても、
つまらない諍いで殴り合いを始めても、
ただ黙々と酒を飲んでいた。

飲む酒は決まってバーボン。

誰の誘いにも乗ることもなく、誰と話すこともない。
誰呼ぶでもなく“だんまり”と噂されるようになった。

年若いチンピラたちは大抵の者がやがては『組織』へと勧誘される。
そしてこの街を支配するギャング団の下部構成員として使い捨てられる。
その選にもあぶれた者はどうしようもないクズとしてチンピラ以下として扱われる。
あるいは、構成員になったはいいが、出世することもなく下っ端のままで一生を過ごす。

だんまりがそのどちらだったとしても、若いチンピラたちからすれば失笑のタネだった。
いつも同じ席で安酒を飲むだんまりをあからさまに笑う者も少なくない。
当人は気にした素振りも見せないが。
今日もだんまりはいつもの隅の席に陣取っていた。

バーテンは注文を取ることもしない。黙ってバーボンのグラスをカウンターに置く。
それをちびりちびりと飲むのがだんまりのいつものやり方。

だが、今日は少しばかり様子が違った。
したたかに酔っぱらった客の一人がだんまりの席へと近づいていった。

「よお、だんまりさんよぉ。今日も安酒かよ?」

陽気な口振りで酒瓶を片手に持つ若者は絵に描いたようなチンピラだった。
だんまりは顔さえも向けなかった。
酒に飲まれた赤ら顔に、侮蔑と優越を混じらせたまま、
チンピラはふらふらした足取りでだんまりへと迫った。

「俺達はなぁ、あのトンマーゾさんにスカウトされたんだぜ。いよいよギャングスターの仲間入りよ」

どっ、と後ろの席の若者たちがはやし立てた。
なんのことはない。チンピラが使い捨てに格上げされただけの話。

「あんたみたいによぉ、うだつのあがらないオッサンとは違うんだよ、わかるぅ?」

ダン、と音を立てて乱暴に酒瓶がカウンターに置かれた。勢いでこぼれる酒にバーテンが
わずかに眉をひそめた。スカしたスコッチウイスキー。

「おい、こっちぐらい見たらどうなんだよ?」

陽気さはなりを潜め、ただ荒いだけの言葉を若者は続けた。
だんまりは視線を向けることもない。まっすぐカウンターの向こうを見つめたまま、
くいっとグラスを空けた。

「おいおい、グラスが空じゃねえか。気分がいいんだ。一杯おごってやるよ」

仲間の一人がぐっと手を下に傾けて見せた。
男はにやにやと笑って、カウンターに置いた酒瓶に手をやった。
それをだんまりの頭へと傾ける――前に手ごと瓶を掴まれた。

一瞬だけ視線が瓶へと向かった瞬間、だんまりがすっと立ち上がった。

でかい。若者は彼の胸ほどまでしかない。

それだけであっさりと気圧された。
だんまりの胸で揺れる銀色のドッグタグに青ざめた若者の顔が映っていた。

「お、おい!おまえら……」

後ろのテーブルの仲間たちに助けを求めようとした。
だが、彼らの顔も一様に青ざめていた。
だんまりの目を、真正面から見てしまったからだ。
ギャングなりたてのヒヨッコとはまるで違う。
暗い。どこまでも暗い眼をしていた。
森の闇から得体の知れない獣に睨まれているかのように、
ひどく重い気配が背骨から肛門まで流れ込んでくるかのようだった。

酒瓶が奪い取られた。

「ヒッ!?」

若者が頭を抱えてへたり込む。
だんまりはそれに顔を向けることもなく酒瓶をあおって歩き出す。
ビクつく若者たちの側を抜けて、店を出ていった。
残された者たちはただぽかんとした顔でそれを見送るしかなかった。

「ありがとうございました。またのご来店を」

バーテンだけが何事もなかったかのように――
実際、何事もなかったわけなのだが――
カウンターのグラスを片づけていた。



店を出ただんまりは薄汚れた街並を歩く。
夜の帳が降りてもこの街は眠らない。
いや、ここから目を覚ますと言ってもいいほどにぎわいを見せる。

あやしげな品物を売りつける売人、街角に立つ女、
暴力をちらつかせながらも上納金をせびるギャングの下っ端。

一見無法そのものだが、それらの全ては『組織』とその構成員によって統制されている。
全ては『組織』のボスによって。
ある意味では法や警察の下にあるよりもよっぽど規律正しい。
それが、悪党に利する悪法であったとしても。

だんまりは酒瓶をあおる。
口に合わないスコッチウイスキーでも、アルコールがある分マシだった。

この街が一度だけ大きく揺らいだことがある。
前のボスが死んだときだった。
そのときは、街が大きく揺れた。


事は十年前に遡る。


その頃の彼は紛れもないチンピラだった。
さきほどの若者たちと少しも変わりない。
毎日をつまらないケンカと縄張り争いに明け暮れ、
その日を生きるのに精一杯だった。

彼らと違うことがあるとすれば、
軍隊崩れだったことにより、
武器の扱いに少々慣れていたこと。

そして、与えられたチャンスがとてつもなく大きかったということだ。

ある日のことだった。
強く踏んだら床板に穴が開いてしまいそうなボロのアパートに手紙が届いていた。
藁にボロ布をかけただけのようなベッドの上に、
みたこともないような大金と新品の銃が置いてあった。

――仕事を頼みたい。ある男を殺せ。

手紙にはそれだけの言葉と日時が指定されていた。
同封されていた写真には初老の男が写っている。
それが俗に鉄砲玉と言われる仕事であることは彼にも容易に察しがついた。
相手を撃ち抜いたとしても、生きて帰る見込みのない仕事であることは。
一瞬だけためらう気持ちが生まれた。

だが、手にした銃のずしりとした重みは自分への期待の重さに感じられた。
彼は幸運に恵まれたのか、それとも悪意の運命に見入られたのか。
指定された日時は、雨が降っていた。
ほんの少し先ですら見えなくなるかのような強い雨。
この街では年に何度もない。
傘も差さず、冷たい雨に打たれながら彼は待った。

彼に殺される男を。

彼が殺す男を。

情報は正確であり目標の男は油断していた。
『組織』の統治で平和な時間が長く続きすぎたことが、
彼らから万一という緊張感を奪っていた。

雨が強いからという理由で仏心を出し、
護衛の男共もたったの二人きりだったということも幸運だった。
悪魔じみた幸運だった。

物陰から飛び出し、獣めいた叫びをあげて彼は撃った。

一発、二発。

恐怖と緊張でさらに一発撃った。

当たったのか当たらなかったのか。
それすらもわからないうちに相手の銃弾が来た。

それは風圧だけで頬をざっくりと切り、彼に消えない傷を負わせた。
雨水に混じる血の色。
その場から無我夢中で逃げた。
相手の弾がそれから当たらなかったのも、また幸運としか言いようがなかった。


この街のボスが死んだ、と聞いたのはそれからすぐのことだった。
日課となっていた散歩の途中に鉄砲玉に撃たれたというのだ。

自分が撃った相手はこの街を束ねるギャングのボスだった。
途端に震えが止まらなくなった。

なにかの間違いで生き延びてしまったものの、
自分はすぐにでも殺されるに違いない。

この街もギャングの後継者争いで戦争みたいな騒ぎになる。
すぐにでも街を出るべきか、いや、外に出るのは危険だ。
外では自分たちのボスを殺した犯人を血眼で探しているだろう。

だが、このボロアパートにいるのも危険だ。
依頼してきた相手はここに直接手紙と銃を置いていった。

逃げることも出来ない、だからといってここにもいられない。
結局、彼はどうにも出来ずに粗末なベッドの上で震えていることを選んだ。

天の底が抜けたように雨は降り続いていた。
所々に雨が漏る天井さえも気にならない。


一日経ち、二日経ち、そして三日が経った。
一睡も出来なかった。
物音を立てないように埃臭い雨水をすする以外なにも口に出来なかった。


四日目の朝、彼はのっそりと這い出るようにしてアパートを出た。
死を覚悟したというより、ただその感覚が麻痺したかのようだった。

ざあざあ。

雨はいまも降り注いでいた。
そのままふらふらと歩き出す彼の様子に道行く人々は誰もが遠巻きに道を譲った。
誰も傘など差してはいない。こんなにも、雨がひどいというのに。

ざあざあ。
街はなにも変わっていなかった。
売人はあやしげな薬を売りさばき、街角には客を待つ女が帰り支度を始めていた。
チンピラたちは小競り合いを続け、組織は依然として存在していた。

雨の中粛々と行われたボスの葬儀の後、
組織は新たなボスを迎え、幾人かの幹部が入れ変わったらしい。

それだけだった。

跡目争いの戦争も、抗争も、行われなかった。
ギャングのボスが死んだことも、彼が命がけでそれを行ったことも、
なんの変化ももたらさなかった。

ざあざあ。雨が降り続けた。耳の奥で。
彼は、ボスを殺したことを誰にも話さなかった。

ざあざあ。雨が降り続けた。目玉の裏側で。
彼はやがて、誰にも何も話さなくなった。

ボスを殺した。
それよりも大事なことはなく。それ以外のことなど話す必要もなかったからだ。

ざあざあ。雨は降り続いていた。脳味噌の隅っこで。





だんまりとなった彼の家は以前よりもずっと広くなった。
乱暴に歩いても床が抜けることもなく、雨漏りもしない。
あの時に銃と共に渡された金はまだ底をついてはいない。
加えて彼はどんなつまらない仕事も、汚れ仕事も選ぶことなく行った。
あの日から、雨は降り続いている。
彼の部屋にあるものは藁よりはマシだが質素なベッドと小さな机が一つ。
それ以外の私物はなにもない。酒瓶も、煙草もなにもない。



そんな病的なまでに簡素な部屋には今日、異変があった。
粗末なベッドの上に包みと手紙が一つ、置いてあった。

ぶるり、とだんまりの身体が震えた。
大きく目を見開いて、震える指で手紙の封を破った。

――もう一度仕事を頼む。今度は、俺がボスになる。

それだけが書いてあった。
写真の男の顔には見覚えがある。
今の『組織』のボスだ。
包みの中にはまたしても大金と銃が一丁。
あのときと全てが同じだった。

どくん、どくんと心臓が早鐘のように脈打っているのがわかる。
恐怖、歓喜、憤怒、悲壮、焦燥。
いくつもの感情がないまぜになって、やがてドス黒く変色していくかのようだった。
十年、無くしたと思っていたものが一斉に噴き出していく。
昔、古参を気取っていた爺さんが言っていた言葉がふいによみがえった。


使い捨ての鉄砲玉にも種類がある、と。
「使える奴は……自分が弾だと知っている、だったか」


だんまりが、口を開いた。もう、黙っている必要がない。
かつてのボスを撃ったのが過ちならば、これは再びの過ちとなるのか。


いや、違う。今度は、俺の意志だ。

それは再犯の決意。


ふと、ざあざあと続いていた雨がやんでいることに気づいた。
酒に溺れても、暴力に明け暮れても、女を抱いても、
薬をやっても止まらなかった雨がやんでいる。

だが、晴れ晴れとした気分というわけでもない。
分厚い、黒い雲のようにどっしりとした感覚。

そうだ。これは嵐の前の静けさ。
以前にはこの街はなにも変わることはなかった。

だが、今は違う。
たった一発の弾が、この街を暴虐と奸智に満ちた戦場へと変える確信があった。
もしもまだ自分にツキがあるのなら、あのときの悪魔めいた幸運が微笑んでくれるだろう。

ごうごうと、心には風が吹いてくる。それはやがて、嵐を連れてくるだろう。
だんまりは、いや、だんまりだった男はあのときと同じ銃を手にして部屋を出た。


無法者の楽園(ギャングスタ―パラダイス)をめざして。