キラー



「ギャングスターパラダイス」 フレーバーテキスト作者、
 ラギーノ•フランクリン(如月 玲慈)氏 制作小説。

 わたしがその街に滞在した期間はそれほど長いわけではなかった。
一見するとそこは、どこにでもあるような普通の工業の街だった。
 急速な発展を遂げる、普通の街。
 農業よりも工業がもてはやされ、古い物はすぐに新しい物にとって替わられていく、そんなめまぐるしい時代。
 その街にとっての開幕の鐘は、一発の銃声だったのだろう。
 一人の人物と一つの時代が終わり、まるでゴールドラッシュのように新たなるものを求めて、その街の住人たちは奔走していた。
 その街の住人は二種類に分けられていた。
 ギャングであるか、そうでないかだ。
 活気と倦怠、暴力と欺瞞、希望と絶望がうずまいていたあの街。
 そこでわたしは一人の男と出会ったことを、今も思い出す。
彼との出会いを話すには、まずはわたしの事から話さなくてはならないだろう。
 その当時のわたしはいわゆる風来坊。定職も金も持たない根無し草だった。
 その日暮らしの仕事をして、ある程度の金が溜まれば次の街へと流れていく。そんな生活を繰り返していた。
 あの街にもその日にやってきたばかり、ふらりと立ち寄ったバーで隣に腰掛けていたのが彼だった。
「となり、いいかな?」
「ああ、空いてるぜ」
 カウンターに腰掛けるとき、ちょっとした気まぐれでかけた声に、彼は律儀に返事を返した。
 ちらりと見てみると――左目に真一文字の傷跡がある男だった。 
 豊かに蓄えた口ひげと、鍔のある帽子がどこか西部開拓者時代のガンマンを連想させた。
 わたしの視線に気がついたのだろう。男は見た目通りの鋭い目付きでわたしを見てきた――
 かと思うと、
「いい夜だな兄弟。まあ、こっち来て座りなよ」
 おどけた仕草でひょいっと帽子をとって挨拶をしてきた。傷跡さえも気にならないくらいに柔和な顔で。
 最初の印象とはまるでちがう愛嬌のある仕草にわたしはすっかり毒気をぬかれた心境だった。
「マスター、酒だ。兄弟にも俺と同じやつを」
 彼が勝手にマスターに注文を出し、七面鳥の絵があるボトルから琥珀色の酒がグラスに注がれた。
「慣れたもんだね。君はよくここに来るのかい?」
「いいや、初めてさ」
「それにしてはずいぶんとマスターと親しげじゃないか?」
「男と仲良くなるのは得意なのさ」
「ふうん、そんなものか」
「そうさ」 
 妙に自信たっぷりに彼が告げた。 
「乾杯しようぜ」
 ウィンクしたまま、グラスを掲げた。
「何に?」
「俺たちの出会いにかな」
「男同士だろう。なにが面白いのやら」
 そう言いつつも、わたしもグラスを掲げた。この不思議と友好的な男の雰囲気に早くも飲まれていたのかもしれない。
 チン、とグラスが音を立てた。 
 グッと一気にあおる彼の真似をしてみたら、喉が焼けた。
 きついアルコールにむせてしまった。
 彼は楽しそうに笑った。
「飲み慣れてないとキツかったか?」
「よく平気だね、君は」
「田舎の酒だからな。こんなもんさ」
 飲み干してから、彼は次をマスターに注文した。マスターは軽く肩をすぼめてからまた七面鳥のビンを傾けた。
 とくとく、と琥珀色の液体がグラスに注がれるのを楽しそうに彼は見つめていた。
 本当にこの酒が好きなんだろう。
「あんた、余所から来たんだろ」
「ふむ、わかるかい?」
「まあな、この街も長いと雰囲気でわかるのさ。それに今この街の連中はどいつもこいつも殺気立ってやがるからな」
「そんなものかな」
「知らなかったか?」
「いいや」  
 わたしは軽く首を振って見せた。
 この街についてからこなした仕事先でももう噂になっていた。
 物騒な話題はどこでだって、ホットニュースになるものらしい。
「この街を牛耳っていたギャングのボスが死んだんだろ?」
「正確には殺された、だけどな」
「そうか。それで次の跡目を決めるためにずいぶんと荒れているらしいね。裏切り者がいるとか、潜入捜査官がいるとか」
「そうそう」
「ご苦労な事だよ」
 わたしが他人事のように――実際他人事だが――流すと彼はハハハ、と笑った。
「そうそう、それそれ。その関心の無さが余所者の雰囲気ってわけさ」
「そうはいうけれど、君だってあんまり関心は無さそうに見えるが?」
 男の雰囲気はどうみてもギャングのような組織に属しているものではない。
 もっと自由で、奔放で、それこそ荒野に生きる者のような『何か』が見て取れた。
 これは彼の勘と同じ、流れ者としての勘だったが。
「そんなことはないさ。大ありさ」
「ほう? 勘が外れたかな」
「ちょっと仕事に関することなんでね」
「ひょっとして警察関係者だったのかい?」
「違う違う。ワイアット・アープってんなら別だがね」
 冗談めかして言ったあと、彼は続けた。
「ヒントを出そうか? 棺桶」
「棺桶……。ひょっとして墓堀人なのかい」
 確かにそれなら仕事が尽きることはないし、この街なら大忙しだろう。
「墓って……そりゃいいや!」
 彼はどういうわけか大笑いを始めた。
 それこそ店中に響きわたりそうなくらいに大声で笑っていた。
「掘るのはどっちかというと趣味の方さ」
「どういう意味だい?」
「わからなきゃいいさ!」
 狐につままれたような顔をしていたのだろう。そんなわたしをみるなり、彼はさらに笑い出した。
 あんまりにその笑いが楽しそうだったので、わけもわからずわたしもつられて笑い出しそうになったとき――
「うるせえぞ!」
 テーブル席の一角から鋭い怒声が飛んだ。
 店内が一瞬で、シンと静まり返った。
「穴だってさ、ヒャハハッ!」
 訂正する。彼だけはまだ笑い続けていた。
 ガシャン、とグラスが砕ける音が聞こえた。
 怒鳴った男たちの一人がいらだたしげに床にグラスを叩きつけたのだ。
(お……お客さん……!)
 見ると蒼白な顔をしたマスターが小声で早口に述べた。
(あの人たちはギャングの一味なんですよ……! 早く謝らないと命の――)
 マスターは急に言葉を切ってそそくさとわたしたちの側を離れた。
 見ると男たちのひとりがのっしのっしと肩で風を切りながらわたしたちの方に――正確にはまだ笑い続けている彼の方に歩いてきていた。
 酔っぱらいだらけのこの酒場であっても、さすがにこのギャングにからもうとする者はいなかった。
 ――これは、まずいことになった。
 さすがにわたしもそう思った。
「おい、兄ちゃん。何がおかしいんだよ」
 ギャングというよりのチンピラそのものの口調で、その男は背中を向けたままの彼に声をかけた。
「ああ、わりぃわりぃ……うるさかったか?」
 いまだにおかしそうにくっくと笑いながら、彼は男に謝罪した。
 が、男は逆に激昂した。
 無理もないが。
「死にてぇのか!」
 男は彼の襟首を掴んで無理矢理に椅子から立ち上がらせた。
 酔っているのか――それでも彼はおかしそうに笑ったままだった。
「――」
 それは本当に反射的な物だった。
 後から何故、と聞かれればわからない。
 まったくもって理解しがたい行為だが、わたしは立ち上がって、彼の襟首を掴む男の腕に手をかけていた。
「……なんだてめえ?」
「あー……」
 わたしは言葉に詰まった。
 自分でもなぜこんなことをしたのかわからないのだから。特に荒事に長けているというわけでもないというのに。
 ただ、腕をつかまれた男よりも彼の方がずっとぽかん、とした顔をしていたのが印象に残った。
「彼はわたしの友人なんでね。乱暴はご遠慮願いたい」
 なんだか場違いなほどに穏やかな言葉になった。もっと乱暴な言葉の方がよっぽど場に似つかわしいというのに。
「てめ――」
 一瞬だけ呆気にとられた顔をしていた男がふたたび激昂すると同時に、いくつかのことが起きた。
 彼がまたしても「ヒャハハ」と笑い、するりと男の腕から抜け出したのだ。
 次の瞬間、男は上顎を反らして、海老のように後ろへ吹き飛んでいた。
 彼が顎を蹴り上げ、続いて腹に一撃を入れたのだと理解したときには、テーブルにいた残りの男たちが殴りかかってきていた。
「やろうぜ、兄弟」
 耳元で彼がささやいた。
 するとどうしてだろう。ろくに荒事など経験していないわたしに、無謀とも言える勇気がわいてきたのは。
 わたしは小さく頷いて、出鱈目な構えをとった。
 
 それからどんな乱闘になったのか、わたしはおぼえてはいない。
 相手の一発目のパンチで気を失ったような。
 意外に善戦したような。
 どこからが夢でどこからが現実なのかわからないおぼろげな記憶が残っているきりだった。
 頭を振ってからあたりを見渡す。 
 薄暗い路地裏ということだけはすぐにわかった。酒ビンが転がり、あたりにはゴミでも腐っているのか、すえた臭いがどこからか漂ってきている。
 ふらつく頭をおさえ、わたしはたちあがった。
 ふと気がついた。
 彼がいない。
 お互いに名前さえ名乗っていないのでそれさえもわからない。
 けれども、彼のことは夢ではないはずだった。
 なんだか置いて行かれたような気持ちになって、わたしは慌てながら路地を歩き出した。
 もしかしたらあの喧嘩騒ぎで――。
 不意にわきあがってきた不安は簡単に打ち消された。
 いや、彼ならあれぐらいでどうにかなるわけはない。何の根拠もなかってけれど、それだけは確信できた。
 ふっと、路地の向こう側を誰かが通った。
 ちらりとしか見えなかったけれど、わたしにはそれが彼であるような気がした。
 追いかけてみると、すぐにその影は角を曲がってみえなくなった。
 追いかけて路地を抜け、道路を横切り進んでいく。その先はだんだんと治安が悪く、人通りも少ない道へと続いているようだった。
 わたしはこの街に来たばかりではあるが、どこの街でも共通の『危険』の臭いが感じられた。
 彼はこんなところに住んでいるのだろうか?
 それとも、なにかまっとうではない用事?
 足が止まった。
 なぜわたしは人の事情を勝手に探ろうとしているのだろうか。
 ――気にするなよ、兄弟。
 急に彼の声が頭の中でよみがえった。
 彼ならきっとこう言ってくれるだろう。
 だからこそ、わたしは踵を返した。
 彼に会いたくなったのなら、また適当なバーを探してみればいいだけのことだ。
 彼はきっと昨日の夜と同じように『よう、兄弟』と迎えてくれるだろう。
 ――もっとも、昨日のバーはもうお断りだろうがね。
 わたしはくすくすとひとり笑いながら歩き出した。
 どの道をどう来たのかは覚えてはいない。
 だから適当に戻ることにした。
 そして、わたしはここで神の皮肉を知ることとなった。
 尋ね人を見つけてしまった。
 そこは古い工場のようだった。
 この街は産業が急速な発展を遂げていた。
 新しい工場が次々と作られる反面、古い工場は見捨てられていく。
 ここもそんな場所のひとつだったのだろう。
 ――彼はやれやれ、と苦笑してから煙草を取り出してからくわえた。
 ――向かい合う男は、なんの事だ? と口に出した。男の周りにボディガードだろうか、見るからに屈強そうな男が三人。
 ――いやね……。彼は煙草に火を付けてけだるそうに煙を吐いた。
 ――こんなつまらねえ仕事をよこすようじゃ、トンマーゾの野郎……クソつまらねえ奴になっちまったんじゃねえだろうな、とつぶやいた。
 ――タタン。
 短い音が二回続いた。
 屈強な男の一人が急に天を仰いだ――ように見えた。
 頭が半分砕けていると認識する前に、
 ――タタン。
 もう一人がダンスするように周りだし、
 ――タタン。
 もう一人がどう、と音を立てて倒れた。
 煙草の煙に混じって、もう一つ。彼の手にした銃からも煙が上がっていた。
 ボディガードたちに一人も銃を抜かせることのない西部劇のガンマンのような抜き撃ちだった。
 彼はゆっくりと中折れ式の銃を折り、懐から次の弾を取り出した。 
 バラバラ、と焼けた薬莢が荒れた地面に落ちたて、向かい合っていた男がぺたんと座り込んだ。
「ど……どうして……!?」
 まともに聞き取ることが難しいほど、声が震えていた。
「仕事だよ。あんたが俺に依頼するように、俺も別の奴に依頼されたんだ」
「ま、待ってくれ! あんたに依頼した奴の倍……いや、三倍払う それだけじゃない……とびきりの美女もつける! だから……!」
 彼は笑った。
 場違いなほどに、いたずらっぽく。
「金も女もなにもいらない。いるのはおまえの命だけさ」  
 ――タン。
 その動きはあまりにも慣れすぎていた。
 彼にとっての日常。
 酒を飲むとか、食事をするように、ごくあたりまえの動作に感じられた。
 昨日みた通りの、見たままの彼が、ひどく現実感から乖離したことをやってのけていた。 
 呆然と立ちすくんでいた、わたしと彼の視線が合った。
!  いや、彼はずっと前からわたしに気づいていたのだろう。そんな気がした。
 ゆっくりと、わたしは彼に向かって歩き出した。
 向かい合って、彼はなにも言わなかった。
 何も言わないままに、銃口をわたしに向けた。
 目撃者は消せ。
 素人でもわかる理屈だ。
「…………」
 彼の銃が再びタン、と音を鳴らし――わたしのすぐ横を弾丸が抜けた。
「ぐわっ!?」
 背中の方から声が聞こえた。
 男の悲鳴だった。
 続いて、衝撃。
 彼がわたしの手を引いていた。
 つんのめったすぐ後ろを何発もの弾が通り過ぎた。
「こっちだ!」
 彼が叫んで、走り出した。
 訳も分からず、わたしも後を追った。
 放棄された工場の中、解体途中だった車の陰に彼は滑り込んだ。
 わたしも転がるように続いた。
 すかさず彼が顔を出し、何発か銃を撃った。
 陰に隠れるわたしにはどうなったのかわからないが、それでも「ぎゃっ!」とか「ぐわっ!」とか悲鳴が聞こえた。
「なんなんだ、これは?」
「お客さんだろ。ハメられたみたいだな」
「ハメられたって……? 誰が?」
「あんたじゃないってことは、俺だろうな」
 さっきから何度か銃弾が車のボディーに向かって撃ち込まれている。 
 火薬の臭いと、弾き飛んだ弾の音が途切れる事がない。
「三、四、と」
 銃撃が途切れた瞬間、彼がすかさず撃ち返す。
 悲鳴がいくつも聞こえた。
 彼の言葉通りなら二人は撃たれたのだろう。
「いったい――」
「五」
 彼が突然振り返って、撃った。
 わたしたちの後ろで銃を構えていた男が倒れた。
「兄弟、弾入れてくれるか?」
 彼はごくあたりまえにわたしに銃をよこした。
 銃身がまだ熱をもっているそれはつい先ほど、何人もの人を殺したのだ。
 懐からもう一丁、彼は銃を取り出した。
 わたしに渡したものと同じ、リボルバーだった。
「ほれ、弾だ」
 ついでに、弾丸を渡してくれる。
「あ、ああ……」
 慣れない手つきでシリンダーに弾を差し入れていく。  
「巻き込んじまったみたいだな。悪い」
「……いいのかい?」
「なにがだ?」
「わたしだよ。殺人の現場を見た相手を生かしておいてもいいのかい?」
「あー……」
 彼は、ここで初めて気づいたみたいな声をだした。
「そうだな、生かしちゃおけねえな」
「そうだろう?」
 どうにか弾丸を入れ終えたわたしは、グリップを彼に向けて差し出した。
 いささかおかしいことを言っているのは承知の上だったが。
 なんというか……。自分の命がどうのとかいう前に、彼の仕事に不具合が出るのがなんとなく嫌だったから、そんな気持ちから出た言葉だった。
「まあ、ここを切り抜けた考えるさ」
 彼は銃を受け取ろうとはしなかった。
「援護を頼むぜ、兄弟」
「わたしは銃を撃ったことがないんだが……」
「簡単さ。引き金を引いて、俺に当てなきゃいい」
「無理だ」
 わたしはかぶりをふった。
「だったらこうしようか。兄弟は俺に殺されなきゃいけないんだろ?」
「あ、ああ、そうだが……?」
「そのためには俺もあんたも死んじゃあいけない。そうだろう?」
「ああ」
「だったら、なんだってできるさ」
「……そういうものだろうか?」
「そうさ。やろうぜ、兄弟」
 酒場のちょっとした喧嘩のときのように彼はわたしの耳元でささやくと物陰から飛び出した。
 するとどうだろう、まるであの時のようにわたしの胸に勇気が満ちてきたのは。
 すっと息を飲むとわたしは物陰から銃を撃った。想像していたよりもずっと大きな反動に腕ごと持っていかれそうになる。
 けれども、不思議な爽快感がわたしを支えた。
 ――もしもこのときがなかったら、わたしの人生は大きく変わっていたことだろう。  
 
 カチリカチリと、銃が音を立てた。
 もう引き金を引いても弾丸が飛び出ることもない。銃を離そうにも緊張に凍り付いた指はうまく撃鉄から外すこともかなわない。
 左手を使って、右手の指を無理にはがす。
 やけに重く感じていた銃が地面に落ちた。
 ここにきてようやく、わたしは荒い息を吐いて、自分がひどく緊張していることに気づいた。
 もう、物音一つ聞こえない。
 銃の音も、男たちのうめき声さえも。
 物陰から立ち上がろうとして、一度、どすんと尻餅を付いた。
 足さえも震えていた。
 それからずいぶんと時間をかけて、立ち上がったわたしはよろよろと工場の外へでた。
 死屍累々、と言えばいいのだろうか。
 外にも内にも屈強な男たちの死体が転がっていた。
 そのどれもが銃を握ったままで、そのどれもが一撃で殺されていた。
 立っているのはわたしと、工場の入り口に立っている彼のみだった。
「無事だったか」
 わたしは声をかけたが、彼は返事を返さなかった。ゆっくりと煙草を指でつまんで、煙を吐き出した。
 その目は、まっすぐにわたしをとらえている。
 そして一歩、二歩、彼が近づいてきた。
 ――そのときがきたのか。
 そっと目を閉じた。
 わたしは殺されるのだろう。
 彼が何者なにか、結局わからないままだった。
 思えば、お互いに名乗ってさえもいない。
 ――殺し屋。
 ――ザッ、ザッ、足音はさらに近づいてくる。
 ふと、陳腐な表現が頭に浮かんだ。
 そうだな、彼は殺し屋なのだろう。
 何もかもを殺す、殺し屋。
 そんな彼にわたしはどことなく惹かれていたのだろう。わたしは、わたしの何かを彼に殺して欲しかったんだ。
 ――ザッ。
 足音はやけに近い。
 これではまるで息がかかりそうなほど――
 ふっと、不意にわたしの唇に何かが触れた。
 ガザガザで、ほんのすこしだけ柔らかく、血と、煙草の味がした。
 驚き、目を開けてみると彼が笑っていた。
「……なんだよ、急に目を閉じるから、キスしてくれってことかとおもったじゃねえか」
 冗談めかして笑っていた。
 さびしそうに、笑っていた。
「……じゃあな」
 彼は、わたしの肩を親しげに叩くとそのまま踵を返した。
「ま……待ってくれ! わたしを、殺すんじゃないのか!?」
 それは悲鳴にも似た叫びだった。
 ひどく大切な何かが、わたしの前から去ろうとしているそんな予感に満ちていた。
「殺すさ、次に会ったときにな」
 背を向けたまま、彼は手を振った。
 それが、もう会うことはないという、彼流の別れの言葉であると気付いたときにはもう姿は見えなくなっていた。
 
 その次の日も、また次の日も。
 いくつものバーを探したけれど彼の姿はみつからなかった。
 それから短くない時が経った。
 ギャングの抗争は日増しに激しくなり、街中で銃撃戦が起こることもめずらしくはなくなった。
 商売の機会に恵まれ、わたしはその街を出た。
 けれども、年に数回はその街へやって来て、目に付いたバーで七面鳥の絵が描かれたボトルを傾けることにしている。
 同じ酒を飲んでいる男を待ちながら。
 次に会うときがあったら、きっとわたしは殺されるのだろう。
 七面鳥のボトルにグラスは二つ。
 空けたままにしてある椅子に、今もわたしは待ち続けている。
 唇に残る、彼のさびしさと温もりを、酒で充たしながら。